大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

京都地方裁判所 昭和59年(ワ)1767号 判決

原告

苑田祝

被告

京都市

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し四〇〇〇万円及びこれに対する昭和五七年一一月二九日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする

3  第一項につき仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

(一) 日時 昭和五七年一一月二九日午後一〇時二七分頃

(二) 場所 京都市南区久世上久世町四四六番地先路上

(市道久世茶屋線)

(三) 態様 原告が普通乗用自動車(京五五は三五七八)を運転して右道路を東進中、右道路の車道上にはみ出ている国鉄新幹線コンクリート橋柱に激突した。

2  責任原因

(一) 本件事故が発生した前記場所は、本件道路と国鉄新幹線が立体交差している箇所で、同所には国鉄新幹線のコンクリート橋柱が本件道路の車道端から道路中央に向けて約一・三〇メートルの長さにわたつてはみ出して存在している。このため、道路端に沿つて東進してくる車両は、右コンクリート橋柱に衝突する危険が常に存する道路構造になつている。殊に夜間走行する車両にとつては、その危険性はより増大することは明らかである。右コンクリート橋柱は、本件道路の開通された昭和五七年六月より以前に既に設置されていたから、本件道路は、その設置当初から、構造上右の如き重大な危険が存する状態で設置されたものである。「道路の構造は当該道路の存する地域の地形、地質、気象その他の状況及び当該道路の交通状況を考慮し、通常の衝撃に対して安全なものであるとともに、安全かつ円滑な交通を確保することができるものでなければならない。」(道路法二九条)という道路法の規定をみるまでもなく、走行する車両にとつて極めて危険な障害物が車道上に車道端から道路中央に向けて約一・三〇メートルの長さにわたつて存する状態で道路を設置するなどということは、およそ常識では考えられないような道路設置にあたつての極めて基本的な誤りをおかしているというべきであつて、被告の道路設置上の瑕疵は免れないところである。

(二) 本件道路には道路設置上右の如き重大な瑕疵が存するにも拘らず、被告は、本件道路の管理者として、本件事故発生に至るまで、右の瑕疵を放置したままで、右瑕疵を除去し、あるいは右瑕疵から生ずる危険を回避するための措置を全くとつていなかつた。このことは今日に至るも同様であり、本件道路には、設置上のみならず管理の面においても設置以来重大な瑕疵が存していたというべきである。

被告は、本件事故が発生して後、地元警察当局からの指示に基づいて、はじめて、急遽、反射材や道路表示を施すなどの応急措置(橋柱の土台部分を白く塗つて土台上部に反射材を施し、あるいは片側車線の中心線を道路中央に向けて約一メートルずらし、橋柱の存する車道部分に車道側端に沿つてゼブラゾーンを設けて道路端に沿つて東進してくる車両が橋柱の存する車道部分を避けるよう誘導するための矢印の指示線を車道上に施すなどの措置)をなしているが、かかる応急的措置では、事故発生の危険を回避する措置としては極めて不完全である。しかしながら、このことは、右の程度の措置すら、当初からとられることなく、危険な状態をそのまま放置していたということで、被告の設置上の瑕疵のみならず、管理上の瑕疵も免れないところである。

(三) 本件事故発生時の当夜の天候は土砂降りの雨でかつ路面は真暗であつたので、原告は、走行の安全を考えて、道路側溝に沿つて東進中、本件コンクリート橋柱に激突したものである。走行の安全を考えて進行したことがかえつてあだとなつて本件事故が発生したということは、道路の構造上、本来あり得べからざるところにコンクリート橋柱が存在し、しかも車道上に一・三〇メートルの長さにわたつてはみ出しているという重大な設置、管理上の瑕疵が存したからにほかならない。

(四) 右の如く被告が本件道路を設置管理しているものであり、かつ本件事故は、被告の本件道路についての設置、管理上の瑕疵によつて発生したものであるから、被告は、国家賠償法二条一項に基づき本件事故によつて原告の被つている損害を賠償する責任がある。

3  原告の傷害、治療経過、後遺症

原告は、本件事故により、頭部、胸部等を強打するなどして意識不明の重態に陥り、気管輪状軟骨粉砕骨折、前頭骨陥凹骨折、両側反回神経麻痺、左眼球運動不全突出、意識障害、鼻出血、急性膀胱炎、前額顔面下顎挫創、両膝関節痛等の傷害を受け、医療法人シミズ病院で昭和五七年一一月二九日から昭和五八年一月一三日まで、その後国立京都病院で同年三月二四日まで入院加療を受け、この間数回にわたる気管切開等の手術が施行され、退院後は現在もなお通院加療を受けており、今後一生通院の必要があることを医師から通告されている。そして現在両側反回神経麻痺、永久気管切開孔が在し鼻呼吸なく、嗅覚脱失、発声機能又は言語機能に著しい障害が存する等の後遺障害が存している。この後遺障害は、昭和五八年七月末日症状が固定し、その症状の性質から今後一生継続するものであり、このため、原告は、現在もなお就労不能であるばかりか、入浴等は一人ですることができず常に介護を要する状況にある。そして右の後遺症状からみて、就労不能の状態は今後も継続する状況にある。

4  損害

(一) 治療費 八五万二六三二円

本件事故以来昭和五九年三月末日までに要した入院、通院期間中の治療費のうち、国民健康保険の本人負担分で一四三万〇六九〇円支払つたが、このうち国民健康保険高額療養費として五七万八〇五八円の給付を受けたので、原告が負担した金員は八五万二六三二円となる(なお昭和五九年四月以後も通院を継続しているが、とりあえず同年三月末日までの治療費を請求する。)。

(二) 医療器具代 一一万二四八〇円

原告は毎日気管内を洗浄することを要し、このための器具代等として昭和五九年三月末日までに一一万二四八〇円を要した。

(三) 入院諸雑費 九万二八〇〇円

入院期間一一六日間(昭和五七年一一月二九日から昭和五八年三月二四日まで)に要した入院諸雑費は九万二八〇〇円である。

(四) 付添看護料 二五万九〇〇〇円

原告の入院期間における症状は前記のとおりで、シミズ病院に入院中はもちろん、国立京都病院入院中の昭和五八年二月一〇日すぎ頃までは付添を要する状態でこの間家族が付添つているところ、この費用は二五万九〇〇〇円である。

(五) 通院交通費 七万八六〇〇円

国立京都病院及び医療法人大岡医院七条診療所に昭和五八年三月二六日から昭和五九年三月三一日までの間の通院に要した交通費は七万八六〇〇円である(なお昭和五九年四月以後も通院を継続しているがとりあえず同年三月末日までに要した交通費を請求する。)。

(六) 慰藉料 二〇〇万円

原告は、本件事故で意識不明の重態に陥り、前記のとおり事故時から昭和五八年三月二四日まで入院治療を受け、しかもこの間数回に及ぶ手術を受け、昭和五八年一月末日頃までは食事もできず同年一月一〇日頃までは点滴のみによる栄養補給を受けているという状態で、かつ記憶も残らないという意識障害の状態が続き、退院後も昭和五八年六月中旬頃までは殆ど毎日の通院を余儀なくされ、症状固定した同年七月下旬までの入、通院期間を通じて原告の被つた精神的苦痛を慰藉するにはこれを金銭に見積ると二〇〇万円を下らない。

(七) 休業補償 三二〇万円

原告は、前記のとおり入院期間はもちろんのこと、通院期間を通じて、前記症状のため、今日もなお就労不能の状態が継続している。原告は、本件事故前は、「そのだオートセンター」の名称で、京都府自動車運転免許試験場前に位置する営業上極めて有利な場所において店舗をかまえて自動車販売業を営み、月額四〇万円を上回る純収益を得ていたが、本件事故のため、右販売業に従事できなかつたばかりか、前記症状のためもはや右販売業を経営することは不可能な事態となり店舗を閉店せざるを得なくなり(昭和五七年一一月二九日付で右販売業の事業廃止届を提出している)、現在もなお他の労務にも就労できない状態が続いている。症状固定時である昭和五八年七月末日までの間の八か月間の就労不能による損害は三二〇万円を下回らない。

(八) 後遺症による損害

(1) 後遺症による逸失利益 四九四九万八二四〇円

〈1〉 原告には前記後遺症が存しており(原告は身体障害者福祉法により、音声機能又は言語機能に著しい障害を残すものとして、身体障害者の認定を受けているが、原告はこの言語機能に著しい障害を残しているのみならず、前記のとおり鼻呼吸不能及び嗅覚脱失という鼻の機能に著しい障害を残しており、他に顔面及び首部に著しい醜状が存していて、自動車損害賠償保障法施行令別表の五級に該当する。)、現在もなお就労不能で、今後仮に就労が可能になるとしても、家庭内での極めて軽易な労務以外に就労できることは期待できない。従つて今後仮に就労が可能となつたとしても、そのような労務による収益の可能性は、多く見積つても事故前に得ていた収益の二割も見込めないとみるのが相当である。

〈2〉 右の後遺症害は、その症状の性質からして、今後一生継続するものであり、就労可能年齢とされる六七歳に至るまでの期間にわたつて労務能力喪失による損害は継続することとなる(なお原告は昭和八年四月生れで本件訴提起時当時五一歳である。)。

〈3〉 原告の事故前に得ていた純収益は前記のとおり月額四〇万円を上回つており、今後六七歳までは少くとも月額にして同額を下回らない収益を得ることは可能であつた。

〈4〉 原告は、昭和五八年七月末の症状固定後前記のとおり現在もなお、就労不能であるが、今後は前記の程度の労務への就労は可能であるとの前提に立つて逸失利益を算定することとする。

〈5〉 右により、後遺症により原告の被つている逸失利益を算定すると四九四九万八二四〇円(四〇万円×一三か月+四〇万×一二×〇・八×一一・五三六)

となり、少なくとも同額の損害を被つている。

(2) 後遺症による慰藉料額 一〇〇〇万円

原告は、前記後遺症により、今後一生にわたつて精神的苦痛をしいられることとなるところ、この精神的苦痛を慰藉するには少なく見積つても一〇〇〇万円を下回らない。

(九) 将来の治療費、通院交通費、器具代 三〇〇万円

前記後遺症のため、今後一生にわたつて、毎日の気管内洗浄、投薬治療並びに少なくとも月一回の通院治療を要するのみならず、洗浄用器具等を更新する必要がある。このために要する治療費、通院交通費、器具代等は少なく見積つても三〇〇万円を下らない。

(一〇) 弁護士費用 六九〇万円

原告は、前記各損害の合計額六九〇九万三七五二円の損害賠償を求めるため本件訴訟を原告訴訟代理人に委任し、その一割である六九〇万円を支払う旨を約した。

5  結論

よつて、原告は被告に対し、右第四項(一)ないし(一〇)の合計額七五九九万三七五二円の損害賠償請求権を有するところ、このうち四〇〇〇万円及びこれに対する本件事故発生日である昭和五七年一一月二九日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1の事実は認める。

同2(一)の事実のうち本件事故現場が本件道路と国鉄新幹線とが立体交差している箇所であること、同所では国鉄新幹線のコンクリート橋柱が本件道路車道端から道路中央にはみ出していること(但しはみ出しの長さは右橋柱手前の東行車道延長線上からは一・二〇メートルである)、本件道路は昭和五七年六月開通した(供用開始日同月二一日)ことは認め、その余は否認する。

同2(二)の事実のうち被告が警察からの要請に基づいて原告主張の反射材や道路標示を施したことは認め、その余は否認する。

同2(三)の事実のうち天候状況については不知、その余は否認する。

同2(四)のうち被告が本件道路を設置管理するものであることは認め、その余は争う。

本件事故現場には国鉄新幹線のコンクリート橋柱が東行車線上に同車道端延長線上から約一・二〇メートル出ているが、同箇所が信号機の設置してある交差点内にあり、制限最高速度も時速四〇キロメートル規制がなされ、しかも十分見通しの良いところであり、普通に注意すれば右橋柱のはみ出しは手前から十分確認できるものであるから、本件道路は道路として通常有すべき安全性について何ら欠いた点はないので、道路の設置管理の瑕疵はない。

仮に道路の設置管理に瑕疵が認められるとしても、原告はブレーキ措置も施さず、かつ真正面から右橋柱に原告運転車両が衝突していることからみて、原告は衝突するまで全く右橋柱の存在に気付かなかつたことが窺え、本件事故は専ら原告の前方を全く見ない無暴な運転という過失により発生したものであり、たとえ手前で右橋柱の存在を示したり、車線変更を促す措置をしても本件事故の発生は避けられなかつたものといえるから、道路の設置管理の瑕疵と本件事故との間には相当因果関係がない。

同3の事実は不知。

同4の事実のうち原告が本件訴訟を原告訴訟代理人に委任したことは認め、その余は不知。

三  抗弁

仮に被告に責任が認められるとしても、原告には前記のとおり前方を全く見ない無暴運転の重大な過失があつたから、本件賠償額を算定するに当つてこの点を斟酌すべきである。

四  抗弁に対する認否

否認する。

第三証拠

証拠関係は本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるからここにこれを引用する。

理由

一  本件事故の発生

請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二  責任の成否

原告は、本件事故が被告の本件道路の設置管理上の瑕疵によつて発生したものである旨主張するので以下こと点につき判断する。

被告が本件道路を設置管理しているものであることは当事者間に争いがなく、いずれも成立に争いのない甲第二六、第二八、第三〇号証、乙第一一号証、いずれも原本の存在と成立に争いのない乙第一ないし第五号証、証人苑田典子の証言により真正に成立したものと認められる甲第二九号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第六、第七号証、永砂重次が本件事故現場付近を昭和五九年一二月一八日撮影した写真であることに争いのない検甲第一号証の一ないし六、同じく昭和五七年一二月一日から八日間までの間に撮影した写真であることに争いのない同第二号証の一ないし四、辻章夫が昭和五八年一月二八日本件事故現場付近を撮影した写真であることに争いのない検乙第一号証、弁論の全趣旨により佐野眞司が昭和六〇年五月八日本件事故現場付近を撮影した写真であることが認められる検乙第二号証(なお撮影対象については争いがない。)証人永砂重次、同苑田典子の各証言、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によると以下の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1  本件事故現場は、都市計画街路久世北茶屋線の東端部として東が国道一七一号線に、西が国鉄東海道線立体交差部東側において府道中山稲荷線に各々接続している市道久世八九号線上の国鉄新幹線と立体交差する地点である(本件事故現場が市道久世八九号線と国鉄新幹線が立体交差していることは当事者間に争いがない。)。

なお右地点は市道久世八九号線が国鉄新幹線西側の幅員約六メートルの南北に通ずる道路と交わる信号機による交通整理が行なわれている交差点内である(右交差点には横断歩道があるが、東詰横断歩道は国鉄新幹線の東側に設けられている。)。

2  ところで右久世北茶屋線はもと二等大路第三類第八一号線(幅員一一メートル)として都市計画決定されたが、国鉄新幹線が昭和三九年一〇月一日開通されているところ、新幹線新設工事当時なお道路が施工されていなかつたため、右計画に従い市道久世八九号線との交差部分は計画道路幅員一一メートルを前提として新幹線のコンクリート橋柱間の幅を一三メートルとして施工された。ところが昭和四二年に従来の二等大路第三類第八一号線を一等大路第三類第三七号線と改め、道路幅員を二二メートルとする旨都市計画が変更され、これに基づき昭和五一年から道路の施工が開始され、昭和五七年五月三一日工事が完了し、同年六月二一日から供用開始されたが、新幹線との交差部分の箇所は道路施工時に既に橋脚幅が一三メートルとなつていたため施工上新幹線のコンクリート橋柱が右交差点西方の東行車線の歩道と接する線の延長線上から一・二七メートル車道中央寄りにはみ出すところとなつた(久世北茶屋線が昭和五七年六月二一日供用開始したこと、国鉄新幹線のコンクリート橋柱が車道端から道路中央にはみ出していることは当事者間に争いがない。)。

3  本件事故現場付近の市道久世八九号線は歩車道の区別があり、車道は幅員が概ね一五メートルで、右交差点の東詰、西詰の各横断歩道からそれぞれ東西に向かいセンターラインが引かれ、あるいは中央分離帯が設けられていて、片側二車線からなり(なお歩道と車道との間に約五〇センチメートルのコンクリートで覆われた側溝があり、東行車線は本件事故当時国鉄新幹線と交差する部分を除き一車線の幅が狭いところで約三・二五メートルあつた。)、右交差点の西方約五〇メートル地点付近までほぼ直線であるが、同所より更に西方に向かつて右に緩くカーブしている。

なお右のとおり国鉄新幹線との交差部分の車道の幅員は一三メートルであり、その東行車線の新幹線コンクリート橋柱側の車線の幅は本件事故当時約二・六五メートルあつた。

4  本件事故現場付近は交差点に車両及び歩行者用の信号機があるほか右橋柱の約五〇メートル西方に水銀灯があるが夜間は暗いけれども、車両が本件事故現場に向かい夜間減光して東進してくる場合運転者において通常約五〇メートル位手前の地点で薄暗いが新幹線コンクリート橋柱を確認でき、約二五ないし三二メートル手前の地点ではこれを明確に確認しえる。

5  原告は、本件事故当時小雨の降る中を事故車(車幅一・四九メートル)を運転して本件事故現場を東進し、ブレーキをかけることもなく右コンクリート橋柱に正面衝突したが、事故前後の具体的状況については全く記憶していない。

6  なお本件事故後、警察の要請に基づいて被告は新幹線コンクリート橋柱の土台部分を白く塗る等し土台上部に反射材を施し、東行車線の中心線を道路中央寄りに約一メートルずらし、東行車線の車道端に右交差点より西方に向けゼブラゾーンを設け、車両の運行を誘導する矢印の指示線を車道上に施す等の措置をとつた(この点は当事者間に争いがない。)。

7  本件事故現場で本件のような事故を起こしたものは以前にもなく、事故後にもない。

右認定の事実に基づき被告の責任につき考えるに、一般に道路の幅員に変化が少ない直線である程道路交通にとつて便利であり、危険の発生も少ないことはいうまでもなく、また道路標示等による警告規制もそれによつて危険を予告し、これに従つて回避されると考えられるだけにその設置の必要性を軽視することはできず、これを本件道路に当嵌めて考えてみても望ましいことといえるかも知れない。しかしながら本件道路の国鉄新幹線コンクリート橋柱の車道へのはみ出し程度は車道端の側溝部分(約五〇センチメートル)を含め歩道から一・二七メートルに過ぎず、当該車道部分自体が然程狭くなつているわけでもなく、本件事故当時が深夜で小雨中とはいえ、車両の運転者が通常期待される前方注視義務を怠らなければ、右コンクリート橋柱はそのある程度手前で比較的容易に認めることができ、事故回避は十分可能であつたものといえるので、本件道路には未だ安全性の欠如又は危険防止措置の欠如等道路が通常備えるべき安全性に欠けるとまで断ずることは困難である。まして本件事故現場の状況、本件事故の態様等から鑑みると、原告は本件事故について記憶がないものの本件事故は専ら原告の前方不注視に原因しているものと考えられるのであつてみれば尚更である。

三  結論

してみれば原告の本件請求はその余の点につき判断するまでもなく失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 小山邦和)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例